もう一つ、これも実は皆さんにお見えをいただいて話をしておいたんでありますけれども、検討中ということでまだ確たる御返事がありませんが、妙なことがございまして、簡単に申し上げますと昭和二十八年の八月に、蓑宮長一という人と永島敏晴という人、これは横浜市南区清水ヶ丘二百五十二番地、二百五十三番地という場所でございますけれども、ここに建て売り住宅を買って入居してきた人が二軒あるのです。
社長 戸田利兵衞 一、金二十万円也 株式会社安藤組 社長 安藤清太郎 一、金二十万円也 株式会社松村組 社長 松村 雄吉 一、金二十万円也 島藤建設株式会 社 社長 島田 藤 一、金二十万円也 株式会社藤田組 東京支店長 深井 斌 一、金二十万円也 日産土木株式会 社 社長 宮長
また政党といえどもある種の援助を求めるのも当然である、政党が健全な発達をしなければ日本の再建も困難であるという氣持もありましたから、私は副会長の宮長平作君、東京支部長たる戸田利兵衞君、それら業界の巨頭としての清水、その他二、三の方に御相談を申し上げて、三大政党から政党に対する援助を求められたが、これをいかにすべきかということを相談いたしたのであります。
宮長君も同行いたします。要するに各般の事務当局へは、東京都へも、復興院へもたびたび参りまして、支拂いの督促をいたしておる。しかし事がなかなか運ばないのであります。殊に昨年のたしか一月、二月、三月は政府の支拂いを止めたのです。われわれは当時三箇月間にわたつて政府の支拂いが全然——大臣の方で当時の支拂いを止めたのではないかと思いますが、そういうように政府の支拂いを財政上の都合で全然しない場合もある。
ただいま宮長君からいろいろお話がございました進駐軍工事の、終戰直後からの今日までのいろいろな沿革、また現状等を考えますると、宮長さんのただいまお話になりましたことは、われわれ當時から仕事に關係しておつた者としては、よく了解できるのであります。
————◇————— 懇談會において意見を述べた者 宮長 平作君 (日産土木株式會社社長) 重田 忠保君 (特別調達廳總裁) 中田 政美君 (戰災復興院特別建設部長) 長谷川重三郎君 (株式會社帝國銀行營業部長代理)